| 「赤穂城を明け渡す」と国家老大石内蔵助が決断を伝えた時、城下に残っていた藩士の数は半分に減っていた。その後の開城で一端は各地に散った浪士達。何の後ろ盾もなく不安な日々を過ごす彼らをなだめ、励まし、取りまとめた内蔵助の心中には、常に「御家再興」の四文字があった。亡き主の弟君・浅野大学の閉門を解き、どんな形でも再興を幕府に認めてもらうため、相当に気を揉んでいる様子は史実上も明らかである。山科に引き込んでからも、過激派を抑えるために江戸まで下向したこともあった。煮え切らぬようにしか見えないと詰め寄られたこともある。しかし要所要所、内蔵助は真意を的確に言葉にして表現した。 一つ、浅野大学さまの閉門解除と御家再興 二つ、吉良にも相応の処分が下ること 時に「うき様」などとあだ名され放蕩者と呼ばれても、彼は決してその心を曲げてはいなかった。そしてとうとう、穏健派と言われていた彼ですら、討ち入りを決意せざるを得ない日がやってきたのである。 |
| 浅野の死から1年以上も経った、翌元禄15年7月18日。幕府より正式な沙汰が下った。 「閉門解除、これよりのちはその身柄を広島藩主浅野家宗主・浅野安芸守へお預け」 ――すなわち、大学は浪人の身のまま宗家が監視するようにとの達しであり、御家再興は叶わないことを意味していた。もはや、この上は・・・覚悟していたのか、「そう」と決まってからの行動は早かった。内蔵助は同月28日午前9時より京都丸山の安養寺塔頭で、有名な丸山会議を開いている。その場に出席した同志は19名。その場に集った時点で既に討ち入りは前提となっており、子細やおおまかな決行時期について話し合われたと思われる。その結果は江戸に長く潜伏していた過激派にも伝えられたが、一方で各地に散った多数の同志に対してはその選抜が行われた。 それというのも、浅野大学の御処分以前までに、浅野家再興に望みをかけて盟約を結んでいた同志が120人を越えていたが、真っ先に討ち入り決定を知らせてしまうと情報が漏れる可能性があったからだ。そこで大高源五と貝賀弥左衛門の二人に、京阪・赤穂に散在した浪士仲間を訪ねさせ、「浅野大学さまの御家再興叶わず、もはや不必要なもの」として盟約を結んだ際の誓紙を返却させた。これを不服とし「もはや討ち入りあるのみ」と突き返してきた者のみ、同志として計画を打ち明けるというものである。これには二十日ほどを要したが、結果55名が選抜された。内蔵助が期待していた浪士のうちにも、脱落者が何人かいたという結果であったという。 8月から10月にかけて、京阪盟約者は次々に下向を始める。散々抑止を求められていた江戸の強硬派にせめてもの誠意を見せるためか、この頃内蔵助は長子・主税を彼らに伴わせて江戸にやっている。主税は近江の郷士・垣見左内と称して土地訴訟問題で下向してきた者として日本橋近くの公事宿に泊まった。 主税の後を追うように内蔵助も京を出立する。しかし一気に江戸市中には入らず、21日鎌倉に逗留した後、25日には川崎、そして26日に平間村に到着した。同村はかつて江戸の赤穂藩邸に馬草を納めていた農民・軽部五兵衛の住まいがあり、七月頃から富森助右衛門が敷地内に簡易の住宅を建て住居し、内蔵助の指示拠点として用意されていた。今まで最終的に討ち入りの可能性を示唆しながらも一年以上自制を促してきた内蔵助がようやく関東に下り直接指示をするのだから、江戸に潜む同志たちはどれだけ活気づいたことだろう。最重要課題であった吉良邸内の様子も、毛利小平太の侵入成功や新版の絵図面が手に入ったことでより成功に望みが繋がった。人脈も活用して吉良の情報をできるだけ入手した。 12月2日、頼母講の集まりと称して全員を深川に召集。15項目の「人々心覚」が示され、この時出発は6日午前4時と決まった。が、5日に将軍・綱吉が柳沢吉保邸に下向することが分かり、市中警護が厳しくなることも予想されたため急遽延期となった。次の実行予定を11日と定めるも、またも将軍の下向で延期。二度の中止を経て最終的に決まったのは14日であった。この日は吉良邸で茶会があり、吉良在宅が確実だったからである。13日は、朝から雪がしんしんと降り積んでいた。翌日に控えた討ち入り決行を前に最期の宴が催された。皆は最後の酒に酔いしれ、夜が更けていった。 |
| 14日朝、降り続いていた雪がやんだ。 内蔵助は1枚の書状を今一度開いて眺めていた。討ち入りの口上書として前日に制作されたそれには、全部で48名の名が書かれてある。誓紙返却でカマをかけ、選抜された55名からさらに人数は減った。そしてさらにうち一名、毛利小平太という名前に内蔵助は墨を入れる。スッと引かれた縦一本線。この直前の脱盟を彼は残念に思った。吉良邸捜索で邸内にまで入り込んで働いてくれた男だ。脱盟の理由は公にはされていないが、大石宛の書状を残して消えたといわれる。 討ち入り前の集合場所は、本所林町五丁目の堀部安兵衛宅と徳右衛門町二丁目の杉野十平次宅で、集合時間は高齢者午後4時、それ以外は午後8時ということになっていたが、皆気が急くのか夕日が沈む前から姿を見せていた。 親子・兄弟は討ち死にしてもいずれかは生き残るように表と裏に分けられ、堀部宅には表門組23名、杉野宅には裏門組24名が集い、かねてより密かに準備を進めていた装束に着替え武器を携える。装束は鉢鉄入りの頭巾を被り、鎖帷子を着込んで揃いの黒小袖を羽織っていた。袖口は歌舞伎にあるだんだら模様ではなく、白い布が袖口に付いていた。敵味方の区別が付くようにである。 隊列を整え出陣したのは七ッ時(午前4時40分頃)。溶けかけの雪が凍って足元はザクザクと音を立てた。15分ほどして吉良邸に到着する。表門・裏門に別れると、まず表門の一行が火事を装い「火が上がっている」と口々に叫び邸内侵入を目論む。無論門番はこれを拒むので、実力行使で門脇に縄梯子を架けて入り門番を斬り捨て、内側から開門する。全員が邸内にはいると、討ち入り大義名分の向上書が突き立てられた。同じ頃、裏門は外から門を木槌で打ち破る。1時間に渡る戦闘の始まりである。 --------- 邸の主の老翁は、前日の茶会の疲れから寝所で深い眠りに着いていた。 登城して将軍の顔色を窺い、命を受けて老体にむち打ち上洛する、きつい政務仕事より、引退してからの方がよほど気楽でいい・・・翁はこの頃そんなことを思うようになっていた。無論、額の傷跡を忘れている訳ではない。何の恨みか覚えはなくとも「遺恨である」と殺されそうになった経験は、そうそうかき消せる思い出でもない。ましてあの青年の形相といったら・・・暫くは自宅の物陰すら物騒に思えてしまうほどだった。兎にも、養子に出した息子の三之助(米沢藩主・上杉綱憲)が国元に来てはどうかと誘ってきているし、孫の義周もまだ若いが跡取りとしてしっかりしてきている。知己の人々と離れるのは寂しいが江戸は何かと騒がしいから、田舎の生活も悪くないだろうと考え始めた12月。夢には米沢での隠居生活を思い描いていたのだろうか。 「申し上げます、どうか御起床を!」 まだ夜明けには早いというのに、家臣の一人が寝所前の廊下へ、怒鳴り込むかの如く滑りこんできた。 「どうしたのだ」 「赤穂の浪人が押し入っております、お逃げ下さいませ」 一瞬心の臓が冷たく、大きく高鳴った。あの事件の折に切腹した青年の遺臣が仇討ちに来るのではと巷に噂されていたことは知っていた。しかしまさか、そのようなことが本当に起こるとは。いましも信じがたいことだった。瞬時は呆然とただ飛び起きたままであったが、遠く微かに怒号のような男たちの声が聞こえると、翁は夜着のままよろよろと寝所を抜け出した。庭に積もった残り雪が、やけに冷たく白く輝いていた。 炭小屋の墨で寒さに足を擦り合わせるうち、かじかむのは寒さか恐怖のせいか分からなくなってくる。小屋の入り口には数人の護衛が付いているが、もはや見つかるのは時間の問題だろう。真っ先に浮かんだのは、刃傷事件以降折り合いが悪くなり実家に戻ったままの妻・富子の顔。彼女の幼名・三姫にちなみ息子に三之助と名付けたのはもう随分と昔のことだ。理由はともあれ、妻が不在だったことだけは不幸中の幸い、と思った。 もはや覚悟は、決まっていたのかもしれない。やがて小屋の外に、人の気配を感じた。翁――62歳の吉良上野介義央は、懐に入っていた三つの守り袋をぎゅっと握りしめた。不思議と、震えが止まった。 |
| JR両国駅 ↓ @吉良上野介邸 ↓ A回向院 ↓ B両国橋・大高源吾の句碑 ↓ C一之橋 ↓ D江島杉山神社 ↓ E新大橋・御船蔵跡 ↓ 隅田川テラス沿いに南下 ↓ F万年橋・芭蕉稲荷神社 ↓ G赤穂義士休息の地の碑 ↓ H永代橋 ↓ I霊厳島内--豊海橋、他 ↓ J堀部安兵衛武庸之碑 ↓ K稲荷橋 ↓ L鉄砲州稲荷神社 ↓ Mヘンリー・フォールズ住居跡 ↓ N蘭学事始翻訳・ 慶應義塾開塾の地 浅野内匠頭邸跡 (現・聖路加病院) ↓ O築地本願寺 ↓ P歌舞伎座 ↓ 都営浅草線 東銀座駅 ↓ (移動) ↓ 都営浅草線 泉岳寺駅 ↓ Q泉岳寺 |
|
||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||